アラビアのロレンスを見てきました

映画アラビアのロレンス完全版を見てきました。

言わずと知れた名画でもあり、タイトルはもちろん知っていました。砂漠の風景がすごいらしいから、いつか映画館の大画面で見たいなと思いつつ、気がつけば数十年経っていたわけですが、完全版の上映をしているらしいということで見てきました。

270分!長いですよね。

ストーリー自体もきちんと通してみるのは初めてでしたし、「いつかは映画館で見る」というリストの一つを叶えられたので、時間をとって見に行ってよかったです。もちろん砂漠の風景は素晴らしかったです。

ただし、想像していたよりも重かったです。

私はそもそもアクション映画はあまり好んで見ない方なので、戦う場面は好まないこともありますが、結構ヘビーな場面もありました。

政治的な話や時代背景など、いろいろ気になったことを調べてみました(perplexity に調べてもらいました)

 

『アラビアのロレンス』の時代背景

第一次世界大戦と中東情勢

『アラビアのロレンス』の舞台は、第一次世界大戦(1914~1918年)中の中東、特にアラビア半島とシリア・パレスチナ地域です。この時代、アラビア半島やパレスチナはオスマン帝国(オスマントルコ)の支配下にありました。

アラブ反乱とイギリスの関与

1916年、オスマン帝国からの独立を目指すアラブ民族による「アラブ反乱」が勃発します。イギリスはオスマン帝国と敵対していたため、アラブ民族の独立運動を支援し、情報将校トーマス・エドワード・ロレンス(T.E.ロレンス)を現地に派遣しました。ロレンスはアラブの指導者ファイサル王子らと協力し、ゲリラ戦や鉄道爆破などでオスマン軍を攪乱、アカバの戦いなどで大きな戦果を挙げました。

列強の思惑と「三枚舌外交」

イギリスはアラブ民族に独立を約束する一方、フランスと中東分割を密約(サイクス・ピコ協定)し、さらにユダヤ人の国家建設支援(バルフォア宣言)も表明するなど、いわゆる「三枚舌外交」を展開していました。この外交姿勢は、後のパレスチナ問題や中東の複雑な国境問題の遠因となります。

アラブ独立運動のその後

戦後、ロレンスが支援したアラブ王国(ヒジャーズ王国)は短命に終わり、アラビア半島は最終的にサウード家が統一しサウジアラビアとなります。また、ファイサル王子はシリア・イラクの王となるものの、アラブの完全な独立は実現しませんでした。

 

 

アカバの戦いについて

アカバの戦いは、アラブ反乱の戦局を大きく変え、イギリス軍の中東戦略と連動し、オスマン帝国の支配崩壊とその後の中東分割・パレスチナ問題など、20世紀以降の中東史の重要な分岐点となった出来事です。

アカバの戦いは、実際に起きた歴史的な出来事です。

1917年7月6日、T・E・ロレンス(アラビアのロレンス)とアラブ反乱軍は、オスマン帝国が守るアカバ湾奥の港町アカバを陸側から奇襲し、これを攻略しました。この作戦はロレンスとベドウィンのホウェイタット族の指導者アウダ・アブー・ターイーらが中心となって組織され、アラブ反乱軍にとって重要な補給港を確保する大きな成果となりました。

アカバは紅海沿岸でオスマン帝国が唯一保持していた港町であり、イギリス軍にとってもシリアやパレスチナへの攻勢の拠点として戦略的に重要でした。ロレンスたちは砂漠を横断してアカバに到達し、海側に大砲を向けていたオスマン軍の意表を突いて陸側から攻撃し、短時間で陥落させました。

この戦いの成功は、アラブ反乱軍の士気を大きく高め、以降のヒジャーズ鉄道襲撃やダマスカス攻略など、アラブ反乱の展開に大きな影響を与えました。

 

アカバの戦いと他の歴史的出来事との関係

アカバの戦い(1917年7月6日)は、第一次世界大戦中の中東戦線におけるアラブ反乱の転換点であり、複数の歴史的出来事と密接に結びついています。

アラブ反乱との関係

– アカバの戦いは、アラブ反乱(1916~1918年)の一部として行われました。アラブ反乱は、オスマン帝国支配下のアラブ民族が独立を目指して起こした武装蜂起で、イギリスが支援し、T.E.ロレンス(アラビアのロレンス)が重要な役割を果たしました。

イギリス軍の中東戦略との連携

– アカバは紅海沿岸でオスマン帝国が保持していた唯一の港町であり、ここを奪取することでアラブ反乱軍の補給港となっただけでなく、イギリス軍エジプト遠征軍(アレンビー将軍指揮)のパレスチナ・シリア方面への攻勢の補給拠点ともなりました。
– アカバ陥落後、アラブ反乱軍はイギリス軍と連携し、ヒジャーズ鉄道の襲撃や補給線の寸断など後方攪乱作戦を展開。これによりオスマン帝国軍は兵力を分散せざるを得なくなり、イギリス軍のパレスチナ進撃(ガザ=ベエルシェバの戦い、エルサレム攻略など)が有利に進みました。

ヨーロッパ列強の中東分割政策(「三枚舌外交」)との関係

– アカバの戦いが行われた時期、イギリスはアラブ人に独立を約束する「フサイン=マクマホン協定」を結びつつ、フランスと中東分割を密約した「サイクス=ピコ協定」、ユダヤ人国家建設を支持する「バルフォア宣言」も発表していました。
– これらの外交は相互に矛盾し、戦後のパレスチナ問題や中東の国境線問題の火種となりました。

アラブ反乱・アカバの戦いのその後への影響

– アカバ陥落以降、アラブ反乱軍はイギリス軍の進撃に呼応してダマスカス攻略などへ進み、最終的にオスマン帝国の中東支配は崩壊します。
– しかし戦後、アラブ独立の約束は十分に守られず、イギリス・フランスによる委任統治やパレスチナ問題へとつながっていきます。

まとめ

アカバの戦いは、アラブ反乱の戦局を大きく変え、イギリス軍の中東戦略と連動し、オスマン帝国の支配崩壊とその後の中東分割・パレスチナ問題など、20世紀以降の中東史の重要な分岐点となった出来事です

 

 

アリは実際の人物?

映画『アラビアのロレンス』に登場するアリ(シェリフ・アリ)は、物語の中でロレンスの重要な盟友として描かれていますが、彼は「実在の人物」ではなく、複数の実在したアラブ人指導者や部族長の要素を組み合わせて創作されたキャラクターです。

アリのモデルとなった人物については諸説ありますが、映画のような「ハリト族の族長アリ」という特定の人物が史実に存在したわけではありません。ただし、アリ家自体はメッカの名家として実在し、オスマン帝国への反乱やイギリスとの協力など、映画の時代背景に関わっていたことは事実です。

つまり、映画のアリは「架空のキャラクター」ですが、実際の歴史的背景や複数の実在人物の要素を反映した存在といえます

アラビアのロレンスの完全版で復元されたシーンは?

『アラビアのロレンス』の「完全版」(1988年再編集版)では、オリジナル公開時にカットされていた約20分分のシーンが本編に復元・追加されています。これにより、物語やキャラクター描写がより深く、細やかになりました。

主な追加・復元シーン

– ガシム救出と処刑の描写強化
ロレンスが砂漠で部下ガシムを救出し、後に「砂漠の掟」に従って自らの手で処刑する一連の流れがより丁寧に描かれています。

– アカバ戦後のカイロ司令部でのやり取り
アカバ攻略後、ロレンスがカイロに戻り、アカバ陥落の報告をする場面や、アラブ人少年ファラージとレモネードを飲むシーンなどが追加され、ロレンスとアラブ人との関係性やイギリス軍内部の反応がより明確になっています。

– ファラージの死とロレンスの葛藤
鉄道爆破作戦中に負傷したファラージをロレンスが苦しませないために射殺する場面が復元され、ロレンスの苦悩や精神的変化が強調されています。

– ダルアーでの捕縛と屈辱体験
ロレンスが現地人に変装して偵察に行き、オスマン帝国軍に捕まって屈辱的な扱いを受けるシーンが追加され、彼の心の傷やアイデンティティの揺らぎがより強調されました。

– ダマスカス占領後の混乱や失望
ダマスカス占領後、アラブ民族会議の混乱や病院の惨状、ロレンスがアラブ人と誤解されて英国軍医に平手打ちされる場面などが追加され、ロレンスの孤独や理想の挫折がより鮮明になっています。

効果
これらの追加シーンによって、ロレンスの内面やアラブ反乱の現実、イギリスとアラブの複雑な関係が一層リアルに伝わるようになり、映画全体の重厚さと深みが増しています。

まとめ
完全版は、カットされていた重要な場面を復元することで、ロレンスの人間像や歴史的背景をより豊かに描き出しています。